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通 院 歴 と 処 方 箋
メンタルクリニックエルデ(2009年2月21日~現在)
 お薬も大胆に変わりましたがそれは想定内の話しで、予め上司には伝えておいたため、これまでやっていた専門性の高いシステムの保守・運用支援業務と、2008年10月17日から手掛けていたシステム開発環境の構築につきましては、到底無理は承知で3日間で引継ぎを無理矢理終え、2009年3月17日は調子が悪くお休みを戴いた上、2009年3月19日からは自宅療養に入りました。2009年3月19日から2009年5月31日までの間は有給休暇を取得し、2009年6月1日~2009年7月30日までは病気欠勤扱いとなり、2009年7月31日からはとりあえず、休職扱いになりました。
 寝室からも一歩も出れない状況でしたが、2009年9月~10月辺りから、寝室から出ることも出来始め、知り合いとの再会もあり、弁護士を紹介して戴く運びになり、弁護士からは社会保険労務士も紹介を受け、労災申請を勧められました。2009年11月に入り、労災申請の準備は具体化し始め、2010年3月10日には、社会保険労務士のお力により、労働基準監督署で労災申請の受付を済ませる事が出来ました。
 2010年4月16日には私自身の聴き取り調査があったりして、嫌な過去を思い出さざるを得ない状況下で説明したため、一気にストレスがたまり、下痢症状に悩まされ始めましたが、関係者はほぼ全員聞き取り調査を済ませ、審査の結果、2010年11月1日には労働者災害補償保険法が認定されました。
 翌年の2011年1月28日には人事部門担当者との打合せがあり、父にも同席してもらいました。労働者災害補償保険法が適用されたことにより、休職扱いは取り消され2009年6月1日からは公傷休暇扱いとなりました。労働協約上、2015年5月31日までには病気を治し、職場復帰が求めらておりますが、病気を完治させることは今となっては皆無に等しく、会社都合での退職を考えざるを得なくなりました。
 それとは別に、2009年12月に入り、主治医は労働者災害補償保険法の適用には無理があるかもしれないと仰り、障害年金制度を勧められました。私は並行でやる決意を主治医へ伝えました。障害年金の診断書は主治医にはすぐにでも書いてもらえる状態にありましたが、一番最初にかかった常泉クリニックはすぐにとはいかず、2010年1月31日(土)に指定され、滞りなく書いてもらえたため、それまでに自分自身で準備していた障害年金裁定請求書と申立書、住民票、戸籍謄本など必要な書類をを添えつつ、2010年2月1日(月)には障害年金の申請を社会保険事務所(いまは年金事務所)滞りなく済ませる事が出来、5ヶ月後の2010年7月1日(木)には障害等級2級で障害年金の認定を受けることが出来ました。そして2010年8月13日には5年間遡及した分(約820万円)が私の口座へ入金されました。
 なお、肝試しではないですが、障害年金用の診断書も主治医に書いてもらい、2009年12月16日(水)には区役所にて滞りなく手続きができ、翌月には2009年12月17日付けで障害等級2級で精神障害者として認定されました。
 ちょうど年末調整も終わり、確定申告の時期でしたので、障害者手帳を提示したところ、障害等級が2級であったため、その年から特別障害者控除を受けることが出来るようになりました。せこいかもしれませんが、国税は40万円分控除、市民税・県民税は30万円分の控除を受けられることとなりました。非課税世帯になるには絶好のいい機会でした。
 妻も子供も非課税なので、我が家は世帯主が障害者で非課税世帯となり、NHK受信料がいまのところ免除になっております。非課税世帯はそれだけではなく、就学援助制度を受けることができ、小学校の給食費やPTA費等も免除となります。ただ、毎年手続きというのは少々負担ですが審査が通れば免除されるので、今後も根気よく手続きをしてまいります。勿論、障害者というだけで、ケータイの基本料は0円になりました。
 障害者や非課税世帯では、色々な特典?!があるものだなぁと感じました。
 ここまでして戴けた主治医ですので、今後とも根気よく通院し、主治医とは Win-Win の関係を維持してゆきたいと考えております。
加藤順クリニック(2008年4月5日~2009年2月13日)
 当面は順調にお仕事と治療のバランスを保てましたが、2008年10月になり、これまでのシステム保守・運用支援業務に加え、具体的にシステム開発に必要な開発環境の構築も主要業務となり、徐々に長時間残業を求められ、睡眠薬を飲みながらのお仕事となり、徐々にお仕事と治療のバランスを失い、ついに2008年12月1日深夜に帰宅準備が整った帰りの直後、職場のエレベータの前で倒れました睡眠薬などのお薬を飲みながらお仕事を1か月半近くやり続け、無理か重なったためです。翌日(2008/12/2 火)から2009年1月20日(火)までの50日間は有給休暇を取得し、自宅で療養しておりました。2009年1月21日(水)からは慣らし運転のつもりで、出社しましたが、上位上司・直属上司からは加藤先生へ診断書の乱筆を求められたため、最終的には私の事は見れないと仰い始め、再び精神科(メンタルクリニックエルデ)を紹介され、2009年2月21日からは精神科へ通う事となりました。
溝の口メンタルクリニック(2008年1月8日~2008年4月4日)
 2007年12月20日に死去された奥田先生と全く同じお薬を出す条件で通い始めましたが、2008/4/4になり、突然次回からお薬を整理します!と仰っておりましたので、これでは会社へ通えなくなる、お仕事と治療のバランスが保てなくなると考え、薬剤師に相談後、加藤順クリニックを紹介されました。
奥田神経科診療所の処方箋 (2002年2月19日~2007年12月1日)
 2008/01/05(土):【お知らせ】(医療機関の)閉院について
 2008/01/05(土):【紹介状】医療情報について
 2007/12/27(土):【御淋見舞】礼状
 2007/12/13(木):【お知らせ】今後の診療時間について
 2007/03/01(木):【お知らせ】3月1日より院外処方に切り替わります。
  2002年2003年~2007年は準備中。2007年12月20日にすい臓がんで死去
常泉クリニックの処方箋(1997年3月1日~2002年2月15日
  2002年2001年2000年1999年1998年1997年
職場環境と体調の推移(1998/03/02 常泉クリニック提出版)
産業医の処方箋(1995年3月27日~2002年2月19日
  2002年2001年2000年1999年1998年1997年1996年1995年
職場環境と体調の推移(1998/03/18 産業医提出版)

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