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媒体変換システムのプログラム解析
1991/12/04~ 13日間 TFFU01 初期画面入力処理
VISマスターデータ受信処理
1991/12/24~ 21日間 TFFU02 受注媒体入力処理
1992/02/03~ 9日間 TFFU03 マスクオプション画面入力処理
1992/02/18~ 5日間 TFFU04 HEXデータチェック・生成処理
1992/02/26~ 5日間 TFFU05 返却媒体出力処理
1992/03/04~ 1日間 TFFU06 VISオプションデータ送信処理
1992/03/05~ 1日間 TFFU07 OX5HEXデータ転送処理
1992/03/06~ 1日間 TFFU08 最終確認入力処理
VIS最終確認送信処理
1992/03/06~ 1日間 TFFU00 共用ワークエリア初期化処理
1992/03/06~ 1日間 海デバ 共用ワークエリア初期化処理
1992/03/09~ 4日間 - サブプログラムの整理
解析期間:1991/12/04~1992/03/12
※解析実績日数:370ステップ/日)
正味60日間/3.5ケ月
媒体変換システムのドキュメント作成
作成期間:1992/03/13~1992/05/31
※解析実績日数:370ステップ/日)
正味2.5ケ月
コードデータの流れ
媒体変換処理上でのチェック概要
N5200版とACOS-4版の媒体変換フローの比較
PROMリーダーライター・コマンド・インターフェース(1993/12/6 第5版)
FDフォーマット一覧(1995/10/19現在)
FD12桁対応によるプログラム修正一覧(1996/1/15現在)
UVEPROM対応でのメンテナンス記録
1992年10月中旬~1992年11月末
○μPD4096対応
○事業部指定アドレス範囲外チェック機能追加
 (ROM容量オーバーチェック対応)
1992年11月初旬~1993年1月末
○PTOS端末のSG作業
○新PROMリーダーライター接続対応
○BDLC手順対応
1993年3月~1993年7月
○PTOS版媒体変換システムの開発
○BDLC/HDLC/RS-232C/GP-IB接続テスト
○新PROMリーダーライター処理性能評価及びバグ対応
○新/旧PROMリーダーライター区分追加及びサブルーチンによる分岐処理
1994年1月末~
◎PTOS版媒体変換システム(BRANCH4680/DINA)リリース
 R01.00A(本社3台/L製本2台)
1994年2月初~
◎事業部指定アドレス範囲外チェック機能、及び
 PROM単位チェックサム抽出機能 リリース
  NTOS版 R02.13A
  PTOS版 R01.01A
1994年4月初~
◎事業部指定アドレス範囲外チェック結果の警告メッセージ
 プリントアウト機能追加(当機能本リリース)
  NTOS版 R02.14A
  PTOS版 R01.02A
1994年9月初~
◎海外版媒体変換システム(REV:A1.06A)リリース
・事業部指定アドレス範囲外チェック機能
・PROM単位チェックサム抽出機能
・コードデータ内コロン数抽出機能
1994年10月初~
◎コードデータ内コロン数抽出機能リリース
  NTOS版 R02.15A
  PTOS版 R01.02Aで本社/L製本共に更新
1994年10月~1995年6月
◎各販売拠点 媒体変換端末リプレース及び、PROMライターオーバーホール
1995年1月17日~
◎QBICROM(EWS)への並行転送開始
1995年6月初~
◎QBICROMファイル転送における
 転送前/転送後ファイルのベリファイチェック開始 PERTⅠ
 (SEND:ACOSFT、RECV:FTP)
1995年7月初~
◎コード本体のALL00h/FFhチェック機能リリース
  NTOS版 廃止
  PTOS版 R01.03A
  ACOS版 A01.07A
1995年7月6日~
◎メモリ製品(4S)ACOS6転送停止
1995年7月17日~
◎QBICROM転送ファイルの待機結合編成ファイル(VB)化 リリース
 転送前ファイル TFF.SENDCODE(%SNO)/TFF.SENDINFO(%SNO)
 転送後ファイル TFF.RECVCODE(%SNO)/TFF.RECVINFO(%SNO)
1995年8月初~
◎QBICROMファイル転送における
 転送前/転送後ファイルのベリファイチェック開始 PERTⅡ
 (SEND:FTP、RECV:ACOSFT)
1995年8月28日~
◎玉川3号機への並行転送停止
制限付きFD受注でのメンテナンス記録
1995年10月19日
◎DOSファイルアクセスライブラリ最新情報の確認
 (1.25MBタイプ以外は・・・)
 ◎技情シ 大喜多SへのFD受注方法回答
1995年10月30日
◎PTOS版媒体変換システムのFD受注制限事項作成
1995年12月8日
◎来年度ROMコード受注システム予算案(開発用)作成
1995年12月~
(予)◎QBICROMファイル転送における
 転送前/転送後ファイルのベリファイチェック開始 PERTⅢ
 (SEND:FTP、RECV:FTP)

◎海外版媒体変換システム
  1. FTP転送化
  2. PROMイメージ受注のチェック強化
◎PTOS版媒体変換システム
  1. コードデータ直接転送対応(TCP/IP版)リリース(64M対応)
  2. FD受注対応
  3. 他社製PROM返却対応
     ①TI社製(1~4Mビット容量)
     ②SGSトムソン社製(16Mビット容量)
  4. 新ライターの24M受注対応
    (4001×6/8001×3/4000×6/8000×3)
  5. TCP/IP版PROMリーダーライターの評価
◎WindowsNT版媒体変換システム開発
  1. FD受注対応
1996年2月8日
◎PTOS版媒体変換システム(REV1.04A)完成
  1. 媒体仮称/ファイル名 8→12桁拡張(U00~U08、U50)
  2. PROMイメージデータのチェック機能強化(U04)
  3. データフォーマット/マスクオプションチェックエラーにおけるデータダンプ画面出力機能追加(U04)
  4. エンドレコードのみ/EOFのみ/コメントのみ時の警告メッセージ対応(U04、U08、U50)
TFFU0000161レコード共用ワークエリア初期化処理
TFFU0100520レコード初期画面入力処理
VISマスターデータ受信処理
TFFU0200855レコード受注媒体入力処理
TFFU0300410レコードマスクオプション画面入力処理
TFFU0400917レコードHEXデータチェック・生成処理
TFFU0500586レコード返却媒体出力処理
TFFU0600485レコードVISオプションデータ送信処理
TFFU0700529レコードOX5HEXデータ転送処理
TFFU0800549レコード最終確認入力処理
VIS最終確認送信処理
TFFU5000241レコード
MAIN0900438レコードRS-232C版PROMリーダーライター対話プログラム
MAIN1800177レコード
1996年3月9日
◎FD受注並行デバッグ手順書作成
1996年4月22日~1997年5月6日まで(380日間)
◎Windows NT 3.51版媒体変換システムの開発
◎自作した関数は366関数
WindowsNT版媒体変換システムの開発
 お客様は半導体セミカスタム品を設計するにあたり、当社提供の開発ツールを使用しております。その開発ツールにて、お客様は半導体セミカスタム品の設計データをUVEPROMへ格納して当社へ受注しており、UVEPROMはいわば大切な受注媒体として使用されておりました。
 そのUVEPROMですが、当社の半導体セミカスタム品受注に使用していたにもかかわらず、1995年10月、メモリ・マーケティング部門はUVEPROMの出荷を停止(生産停止)にしてしまいました。その事がきっかけで、UVEPROMに代わるFD受注の需要が一気に高まり、FD受注に対応したシステムの開発~リリースが急務となりました。
 従来システムのPTOS版媒体変換システムでは、COBOL85で開発しており、MS-DOSファイルのマクロ・モジュールは、5種類のFDフォーマットに対し、1.25MBフロッピーディスクにしか対応しておらず、取り敢えず、PTOS版媒体変換システムで、1.25MBに限定したFD受注のリリースを短期間で実現した経緯があります。
 この頃、一般的には1.44MBフォーマットのFDが出回っており、PTOS版媒体変換システムでは、ROMコード受注を成し遂げることが出来ませんでした。
 従って、各種のFDフォーマット※1に対して限定しない Windows版媒体変換システムの開発が急務になりました。
 ※1 当時のFDフォーマットは、1.44MB/1.25MB/1.2MB/720KB/640KB の5種類でした。
 当時はMS-DOS Ver5.0ベースのWindows3.1が出回っておりましたが、疑似マルチタスクであり、1つのソフトウエアがハングアップしたときは、ベースのOS(MS-DOS)もハングアップしてしまうため、現実的ではありませんでした。OS/2等のOSもありましたが、ACOS-4との通信エミュレータシステム(ETOS52G)も動作する環境も視野に入れ、注目したOSは Windows NT 3.51 でした。Windows NT ベースであれば、完全なマルチタスクを実現し、しかも販売部門のアシスタント・ユーザが誤ってシステムファイルを消去しないよう、アクセス制限をかけることも実現可能な事、さらに完全32ビットOSであった事などがら、Windows NT 3.51 について調査を開始し、Windows NT 3.51版媒体変換システムの開発をすることになりました。
 この時、焦点になったのは開発言語です。自社で「COBOL85 for Windows NT」※2が開発言語としてリリースされており、NTOS/PTOSともに、COBOL85で開発していた事で移植性も高いことから、当時の開発言語は自社製の「COBOL85 for Windows NT」※2をベースにした設計・開発を考えておりました。そして、通信、媒体アクセス、媒体フォーマット等のモジュールにつきましては、Visual C++ で開発すればよいと、安易に考えておりました。ところが、自社製の「COBOL85 for Windows NT」※2の動作評価のためのWindowsソフトウエアを作り、評価致しましたところ、再描画処理等で不具合が生じており、バグがあることが判り、悩み始めました。というのも自社ブランドと言いながらも、かなりの大企業病になっており、過去の開発経緯では、そう簡単にバグ対処をして貰えない経緯があったからです。
 ※2 COBOL85 for Windows NTの後継として、COBOL85 Pro が存在するようです。
  現在はCOBOL85 システムサブルーチン という形で自社製品が存在しているようです。
  Open COBOL Factory21 により、COBOL85 Pro が位置づけられているようです。
 結局、Windows NT 3.51版媒体変換システム開発のスケジュール自体は「COBOL85 for Windows NT」による開発という事で各部門へ公開していたものの、現実的でないことが判った辺りから、オール Visual C++ での開発を考えざるを得なくなりました。問題は開発工数です。なぜならお客様からの半導体セミカスタム品の受注機会損失にならぬよう、開発ツールを提供している関連部門等からは限定解除版のFD受注のニーズが高まっており、半年以内の開発工数でシステム・リリースすることがかなり強く望まれていたためです。
 PTOS版COBOL85言語のロジックを全てC言語へ置き換えることも困難極まりなく、開発側の私と業務上関係する部門とでの溝が深まるばかりで、かつ、上位上司からの強い要望からも、開発期間につきましては半年以内に収めるべく、開発工数を配慮した開発自体そのものの代替え手段は全くありませんでした。
 C++言語につきましては、全く経験がなく、Windows に関するクラスなどの理解は不可欠であり、習得にはかなりの時間がかかるためC++言語での開発をあきらめ、Win32API関数を用いたC言語での開発を考え始めました。開発工数はどう考えても正味1年かかる事と見積もりましたが、開発工数は半年以内と周囲の要望が多く、回避することが出来ず、結局倍のスピードで開発せざるを得なくなりました。
 圧倒的な開発業務の忙しさで、趣味だったバンド活動は解散。それだけではなく、1996年4月22日頃~1997年5月6日頃までの380日間は、毎日夜中の3~4時頃まで、土・日・祝日や長期連休時は明け方5時頃まで、会社の1300億円の売り上げ維持・向上、さらに事業存続のために1年以上に及び休むことなく働かされ、睡眠は1日当たり1時間半程度しか採らせて貰えませんでした。
自宅でも開発できるよう、50万円自払で、PC-9821Xt13/C12(左図)を入手しました。

会社での開発機・販売部門リリース機は、PC-9821St20/L16(右図)に決めました。
 連日連夜の開発業務で長期の過重労働により、科学では到底証明できない精神疾患に因んだ色々な症状も出始め、度々悩まされることになりました。そして1997年3月1日、余儀なくK部長命令の下、先輩に外部医療機関へ連れて行かれ、通院させられることになりました
 のちに約12年間、仕事と治療を両立せざるを得なくなりました。当時、睡眠が自力で取れなくなっており、原因がはっきりしない不安感・恐怖感・絶望感・自信損失・自殺願望等に悩まされ続けることになっておりました
ドキュメント・サーバの保守・運用
システムの開発業務と並行として下記業務も遂行しておりました。
1995年9月◎Windows3.1版GrovalView立ち上げ/データセーブ
~1995年10月末◎J-Star文書資産の要・不要の調査
~1995年11月末◎ファイル変換手順書作成
1995年12月~1996年2月◎ファイル変換実行(50ファイル/日)
1996年3月末◎J-Star廃棄
パソコン歴・職歴の紹介
入社17年目
<親会社から半導体メーカへの移籍>
 親会社からの出向先の職場自体は私を含め大多数が2006年7月1日付で親会社へ復帰・2003年11月に親会社から分社化した某半導体メーカーへ移籍となりました。このころは親会社は1社でした。
 このことで私の職務は社内オンラインシステムの設計・開発・保守・運用業務から離れ、職場のサーバー管理・運営及び、システム設計・開発の支援(工数管理)業務へ就くことになりました。
社内オンラインシステムの設計・開発業務を経てネットワーク知識等を蓄え、プライベートで自作PCのノウハウが身についた私にとっては、仕事で貢献するには大きなチャンスだと感じました。
入社18年目  2007年になり、職場では、これまでのNotesDBサーバの支援業務から、NotesD/Bサーバの管理・運営業務自体を実現し、経費削減に貢献させるべく、その基礎知識やノウハウを身に着けるため引継ぎ期間の3か月間は平日以外で 50~60時間/月の時間を割く事になりました。なぜなら、平日の勤務時間中は外出許可が出なく、専門書の散策が出来なかったからです。
 NotesD/Bサーバの管理・運営業務は結局、2007年1月~3月で引継ぎを果たし、2007年4月から試行運用、2007年5月から本格運用することになりました。このことにより、関連会社へのアウトソーシングをやめ、126万円/四半期の経費削減を実現出来ました。
入社19年目  職場では、これまでのサーバ管理・運営、及びシステム開発支援業務については現状のまま継続しつつ、2008年4月からは再び社内システムの開発に近い、開発インフラ環境の整備・立ち上げの業務が正式に付け加えられました。

 その開発インフラ環境は、これまでに経験したことがない、HP-UXを基本OSとした、OracleD/B環境でした。また、開発インフラ整備のみならず、従来のシステム保守・運用のメンバーにも加えられました。そのシステムに関わる業務内容も全く把握できていないため、そのシステム全体の全容解明・理解に及ぶまでには相当時間がかかりそうだと感じました。
のちにこの業務が発端で、長時間残業に繋がることとなり、2008年10月からは睡眠薬等を飲みながらの残業をせざるを得ない状態が1か月半以上続く事になりました。そしてついにはお仕事を終えた時間帯(帰宅準備を終えた状態の中)の2008年12月1日(月)の深夜、職場の出入り口で倒れました
 その後は約50日間、有給休暇で自宅療養しました。
 2009年1月21日(水)からは、慣らし運転の状態で職場復帰したものの、通常勤務可能なのかどうかを主治医へ伺い、診断書として形にするよう上司から求められました。その旨2009年2月10日(水)、2月13日(金)に内科医に相談しましたが、そのことがきっかけで通い続けた内科から精神科へ転医することとなった。2009年2月21日(土)の転医先の医療機関は現在の精神科医である。想定通り(散々上司にも説明してきたが)三環系抗うつ薬が内服に加えられつつあり、その副作用などから日常生活を普通に送れそうもなくなったことで、2009年3月18日(水)からは再び有給休暇で自宅療養することになってしまいました。
入社20年目  2009年5月末を迎えても、うつ病症状は良くならず、とりあえず2009年6月1日(月)からは病気欠勤扱いで、2009年7月31日(金)からは休職扱いとして貰い、自宅療養を続ける事となりました。入社20年目(満42歳の厄年)にして、人生初めて会社の人事に傷がついたのです
 2009年後半までは、寝室から一歩も出ることが出来ず、妻に食事を寝室に運んでもらうなど、引きこもりのような生活が続きました。快復の兆しは殆どない為、このままだと労働協約書の規定により勤続15年以上20年未満の最大の休職期間は25か月で、2011年8月31日を以て休職期間満了自然退職扱いになり得る事も視野に入れながら考え始めることになりました。生活不安も生じ始めたことから、まずはその旨友人に相談し始め、さらにその知り合いの弁護士へ労働問題の相談に乗って戴けるかどうかわかりませんが、とりあえず弁護士やその知り合いの社会保険労務士を紹介してもらいました。
2009年11月3日(火) これまで弁護士と検討してきた結果、妻が人事担当者と職場の上司に連絡し、労災のことについて調整をし、2009年11月6日(金)15:00~労災申請の説明会を行う事になりました。
2009年11月6日(金)
15:00~
労災申請の説明会を人事担当者より職場の上司も交えて妻と父が受け、人事担当者が労災を現認する事となりました。
2009年11月13日(金) 労働者災害補償保険に関する書類が人事から届きました。
2009年11月24日(火) 労働者災害補償保険に関し、弁護士事務所で相談できました。
その時焦点になり宿題事項になったのが下記3点です。
  1. 睡眠薬を飲みながら仕事を行っていたのか。(対主治医)
  2. そもそも睡眠薬はいつ頃から病状に合わせて処方されていたのか?
  3. 1997年3月1日からの通院歴と、病状にあわせた処方箋を全部揃えて欲しい。
2009年11月27日(金) 弁護士は下記書類を取り揃えて戴けるよう、連絡書を人事担当者宛へ郵送しました。
  1. 就業規則(親会社を含む)
  2. 雇用契約書(写)
  3. 出向指示書(写)
  4. 入社時から現在までの賃金台帳(写)
  5. 主任辞令(写)
  6. 入社時から2008年12月までのタイムカード(写)
  7. 入社時からの職務履歴及び各職務の概要書
  8. 会社側の病状把握の状態の回答書、現在まで採られた対策について教示して下さい。
2010年1月5日(火) 2009年6月1日~2009年12月31日(214日間)についての休業補償給付支給請求書(第1回)には主治医に診療担当者の証明欄へ必要事項を記入・捺印して戴けました。
2010年2月17日(水) 1990年入社から2008年12月までの業務経緯(記録)につきましては2月17日頃までに記録を取りまとめ、弁護士や社会保険労務士へ提供しました。
2010年3月8日(月) 社会保険労務士が休業補償給付支給請求書(第1回)について、労働基準監督署へ提出・受理(受付)しました。
2010年3月16日(火) 労働基準監督署より、申立書や同意書について提出するよう、通知が届きました。
2010年3月17日(水) 同意書5部と健康保険証の写しについて、労働基準監督署へ郵送しました。
2010年3月25日(木) 申立書を労働基準監督署へ郵送しました。
入社21年目
2010年4月7日(水) 労働基準監督署より、2010年4月15日(木)13:30頃~聞き取り調査を受ける旨の通知が届きました。
2010年4月15日(木)
13:30頃~
聞き取り調査を自宅にて行われました。
2010年5月21日(金) 労働基準監督署より、2010年5月24日(月)14:00頃~最寄りの労働基準監督署にて聞き取り調査を父親が受ける旨の通知が実家に届きました。
2010年6月10日(木) 労働基準監督署にて10:00頃~聞き取り調査を妻が受けました。
2010年8月13日(金) 労働基準監督署より妻に電話にて「再発」の意味が「増悪」ということを確認されました。さらに母親が入院している事実もヒアリングされました。
2010年10月15日(金) 労働基準監督署より、1996年1月~1996年12月の給与明細の写しを提出(郵送)するように依頼され、即日郵送しました。
2010年10月19日(火) 労働基準監督署より、1997年1月~1997年3月の給与明細の写しを提出(郵送)するように依頼され、即日郵送しました。
2010年11月1日(月) 労働基準監督署より、労働者災害に認定された旨、電話で受けました。
2011年1月28日(金) これまでの休職扱いは取り消され2009年6月1日(月)からは公傷病欠勤扱いとなったのは、不幸中の幸いでした。

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