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配布先
 正)私の父親
 正)私の母親
 副)私の妻
Windows版媒体変換システム
の設計・開発作業に対する
責任所在の確認と依頼事項
2002年4月14日(日)
承 認 査 閲 作 成
父親
印済
母親
印済

自身
(作成:2002/04/13 私)

 当文書はWindowsNT3.51/NT4.0/2000/95/98に対応した次世代社内オンラインROMコード 受注処理システム(ACROSS・媒体変換システム)の設計・開発・並行デバッグテスト、>全国販売拠点へのシステム導入・リリースに至るまでの期間の、多大なる長期連続残業、及びそれに伴うケアーに対する責任の所在の確認と依頼事項をまとめたものである。
  1. 背景
     一部の部門の当事者意識が薄いことから、1995年10月に特約店からNECへクレームの文書が通知され、その処置としてお客様の信頼を取り戻すことと、各関連部門が一丸となって年間約1300億円の経常利益を支えるために、当部門(当初:某大手電機メーカ某部門)へ次世代システム(Windows版ACROSS・媒体変換システム)の半年間の開発を依頼されたことにある。それぞれの副作用からくる一日のリズムの悪循環(日中の眠気等)を撲滅させること。

    1. 経緯
      1. 1995年12月にK課長(のち1996年部長に昇格)から私へ依頼。
      2. 1995年12月に設計・開発は少なくとも正味1年間かかることを報告
      3. 各関連部門の要求からの圧力から逃れられないことをK課長から言い渡され、設計・開発に関しては、正味6ヶ月間で行うことを私自身が覚悟を持って決意。
      4. 任期期間:1996/04/22~1997/05/06
        • 設計・開発 :1996年5月G/W~1996年10月残業160時間/月
        • 単体テスト :1996年10月~1997年1月中旬(残業160時間/月
        • 並行デバッグ:1997年1月中旬~1997年3月末(残業160時間/月
        • システム導入:1997年2月23日~1997年G/W直前
        • 技術部門試行:1997年4月22日~1997年G/W直前
        • 正式リリース:1997年5月6日(G/W明け)~

    2. 会社側(K部長)としての設計・開発に伴う経緯、及び家族も巻き込んだケアー
      1. 1996年9月頃
         開発5ヶ月目にして体に変調が現れ、私の父親に相談した。回答は「部長の命令に従い、たとえ体調が悪くなろうとも、あと5ヶ月間任された次世代システムの開発をやりきり、その後、病院へ2~3ヶ月行け」との判断だった。

      2. 1996年11月末
         K部長は、Y主任から次世代システムに対応するための各部門への調整・その他の仕事はもう限界だと宣言され、3~4時迄毎日仕事をしている私に手伝ってやってくれないかと依頼された。
         それに対し当然のことながら私の回答はNO! Y主任は23時過ぎに帰宅し、日曜は確実に休んでいる状態で「限界」という回答は、私の、というよりかは親から引き継いだ「サラリーマン根性」からは到底受け入れられないと判断し、次のようにK部長に申し上げた。

         K部長には初めて申し上げるが、私はこれまで土日・祝日・G/W・夏期休暇も開発に全力で費やし、毎日休むこともなく機械のように働きつづけ、夜中の3時~4時は当然のこと、自宅では朝方の5時まで毎日開発を行い続けた。その結果開発5ヶ月目の1996年9月からとっくに限界を感じている。その証に私は「幻覚症状」2~3回引き起こした。結果、夜中に独身寮のブレーカーを落としてブレーカーの前で小便をしたり、友人から誘われた忘年会に出席して暴れ始め、友人関係を悪くしたことも事実、現在に至ってもその友人とは信頼関係が途切れている。そのほか、「幽体離脱」の症状、「異次元空間」の発生、科学では解明できない現象が、私の無意識のうちにたびたび起こり始めた。こういうのを「限界」というのではないでしょうか。それでも私は「限界」に挑戦し、やり遂げる覚悟は出来ている、ということで、Y主任の手伝いは却下させて頂きます、とお断りの回答をK部長に申し上げた。

         俺(K部長)も私の仕事に付き合う。私はK部長の体を気遣い、私の仕事に付き合うのは拒否したが、K部長は責任を持って私の仕事に夜中の3時~4時迄付き合った。だが10日目にして早くも倒れ、暫く10日間入院生活を送った。

      3. 1997年3月1日~
         私の行動・言動からおかしいことをK部長が認識し、健康管理センター(会社の診療所)に加え、外部病院(東邦医科大学付属病院 心療内科)へ行くことを1997年3月1日に正式にK部長より命令された。私はENDRESSとなるから断固として断った。 だが先輩に引っ張って連れて行かれた。しかし、私の症状によると、当病院では診察不可能なため、東邦医科大学付属病院 心療内科の「紹介状」を頂き、外部病院(常泉クリニック:精神神経科)へ通院。常泉院長より、「抑うつ病、不安神経症」と診断し、3ヶ月の休養を命じられる。開発当事者であったK部長、T課長、Y主任が全員一致の意見で3ヶ月の休養を承認した。

         ところが、協力しなければいけない家族(私の父親及び母親)が「サラリーマンとは、サラリーマン根性とは」と言いながら、常泉院長の下した診断書付きの「3ヶ月の自宅療養」の診断を拒否した。

      4. その後
         以来、休養(リラックス)と仕事(緊張状態)という相反する行動をだましだましにしてきたが、結局大きな「次世代システムの開発プロジェクト」を終えて5年間健康管理センター(会社の診療所:精神神経科)と常泉クリニック(精神神経科)に通院し続けたが、私の性格(真面目さ、几帳面さ、慎重、負けず嫌い、完璧主義)は益々エスカレートし、完治するまでに至らなかった。それどころか、2000年5月からは新ビル26階立ての17階に引っ越し、同7月から「自律神経失調症にかかり、人とはなすことすら出来なくなり、考え事は当然のこと、仕事も全く出来なくなってしまった。

         1年前から結婚生活がスタートして環境が変わったが、5年間のエスカレートした性格からは依然として元に戻らなく、また主に会社生活において、精神的ストレスが溜まる一方で、2001年8月4日からは「下痢症状」が発症した。2001年8月はどういう訳か谷中Mの機嫌が悪く、それもストレスとなった。

        2001年9月5日には子会社への出向説明会が開催。2001年10月1日付けで正式に子会社へ出向。
        2002年10月8日から、毎日のように不安だらけの出向者向け説明会が開催された。「不眠症」「自律神経失調症」「抑うつ状態」「不安神経症」を抱えた私にはたまらなく精神的ストレスを受け、雪だるま式にストレスが蓄積されていった。主任は平均200時間/月を命じられ、しかも今や「終身雇用」、「年功序列」という単語も消え去り、半年毎の「成果主義」、「リストラ」といわれた会社生活で困り果て、今後どう治していこうか悩んだ。
         やむを得ず2001年10月中旬からは毎日5時出社の18時30分退社という生活を続けた。その結果、2002年1月16日には背部に激痛が走り、一時呼吸困難となり「聖マリアンナ医科大学付属東横病院」へ救急車で運ばれた。レントゲン撮影や綿密な血液検査などが行われたが、異常は見当たらなかった。翌日から出勤したが、背部の痛みは毎日変化し、健康管理センターの精神神経科 張先生に症状を訴え、診断した結果は「心身共に疲れている証拠」であるとのこと。また、蒲田の常泉クリニックにも同様のことを診断された。
         結局、T課長を筆頭に旧M部長、Y課長は、2ヶ月間の休養を取るように命じられた。このことは元私がいた某大手電機メーカの某部門の 某部門部長、その職場のN部長、出向した子会社の 某システム事業部 W事業部長、さらに出向した子会社の人事・総務の各部長、マネージャーに全て伝わった話しである。
        (従って今後の業績次第では真っ先にリストラの対象。)
         2002年2月19日に健康管理センター 精神神経科 T先生 から2ヶ月間の自宅療養の診断書を頂き、ルール上外部病院(奥田神経科)へ通院することを命じられた。
         2002年3月14日には復職用の診断書を奥田院長に書いて頂き、同月19日に健康管理センター 精神神経科 T先生に提出し、「復職許可書」を頂き、人事・総務に手続きしたが、T先生の判断では、そのまま「奥田神経科」に通院することに専念することと言い渡され、二度と「健康管理センター 精神神経科」にはかかれなくなった。

  2. 今後の対策について
    1. 目的
       「不眠症」、「自律神経失調症」、「抑うつ病」、「不安神経症」、「下痢症状」等を
      完治すること。

    2. 依頼事項(私の父親 殿、私の母親 殿) 138,390円/6ヶ月

      1. 奥田神経科の治療費の負担
         健康管理センター(会社の診療所)精神神経科 から二度と面倒を診られなくなったことから、今まで0円で入手することが出来た大量の処方箋薬、診療費、血液検査、MRI検査、脳波測定検査等に必要となる2割負担の一部を負担して頂きたい。2003年4月からは3割負担の一部を負担して頂きたい。

        ①2002/03~2002/08:10,000円/月 × 6ヶ月(納入済み)
        ②2002/09~2003/03:10,000円/月 × 7ヶ月
        ③2003/04~    :15,000円/月 × 6ヶ月単位【完治するまで】

      2. 奥田神経科の治療費の負担
         精神的ストレスからきた「下痢症状」を止める手段で最も効果があり、主力となる製品(明治ハネーヨーグルト(瓶)100gを朝・夕食後1個ずつ)。
        ①2002/03~2002/08: 6,000円/月 × 6ヶ月
        ②2002/09~    : 6,000円/月 × 6ヶ月単位【完治するまで】

      3. 乳酸菌オリゴプラス代の負担【対下痢症状】
         精神的ストレスからきた「下痢症状」を止める手段で、昼食後及び、残業をしなけ
        ればならない日(夕食後)
        は「ヨーグルト」を食べられないため、乳酸菌オリゴプラスで補う。
        ①2002/03~2002/06:2,782円(1ヶ月分) + 6,195円(3か月分)【精算済み】
        ②2002/07~    :6,195円(3か月単位) 【完治するまで】

      4. ヤクルト代の負担【対下痢症状】
         現在様子見中! ヨーグルトに比べると圧倒的に安価なため、ヨーグルト並みの効果があれば、「ヤクルト朝・夕食後1個ずつ)」に切り替える。

 
--以上--


《補 足》
 あくまで目的は完治すること。お金の問題ではない。お金をいくら支払っても、残念ながら、ここ数年間は毎日毎日、薬の副作用で日中苦しむことには変わりはない。その影響で仕事のペースも鈍り、時には失敗し、思った以上の半年毎の賞与の個人業績分に連結する「実績」が出せない。ひいては現在の「実力・成果主義型」社会には現在のところ耐え切れないのが現状である。


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